nanikasiyou’s diary

僕が取り組んでいることを紹介するブログです。

皿洗いの物語

あるとき、ぼくはキッチンの流しの前に立って、皿洗いをしようとした。

それまで馴染みのない皿洗いをやろうとしたのだ。
 
ぼくはキッチンシンクに溢れた食器類を一つずつ手にして、スポンジで洗い始める。
それは結婚し夫の食事の準備していた妻が毎日やっていたことだ。
 
いったい、彼女はどんな気持ちで食器を洗っていたのだろう。
いろんなデザインの皿や焼け焦げたフライパンやスプーンをどんな思いで揃え、食事を作っていたのか。
彼女にとって、キッチンとはどんな職場だったのだろうか。
そう思うと、彼女の築いた空間の温もりみたいなものが妙に愛おしく感じられる。
 
そんなことを思いながら、どうしたら食器の山を手際よく洗うことができるかを考えていた。
 
最初にまとめてスポンジで洗ってから、後でまとめてすすぐことは、すぐに思いついた。
次に洗う順番は、大きな皿から順番に小さい皿を重ねていくと、狭いシンクに場所をとらず良いことが解った。
それから食器をすすいで水切りかごに並べて行った。
食器の並べ方には、少しコツがある。
おちゃわんを単純に置いていくと、底の丸い部分に水が溜まっていて乾かない。
うまく水が溜まらないよう微妙な角度で立てる必要があるが、食器の重なり順で、うまい並べ方が決まってくる。
 
ぼくは、皿洗いでの小さな発見の積み重ねが嬉しく思えていた。
きっと昔の自分だったら出来なかったと思った。
 
皿洗いには、小学生のときの思い出があった。
ぼくは皿洗いバイトの話を聞いて、小遣いを稼ごうと思った。
山間にあったレストランへ行って裏口から中の大人の人にバイトしたいと伝えると、テーブルと椅子のある部屋で面接を受けた。
最初に親に話したかと聞かれ、まず親の承諾が必要だと言われ門前払いになった。
ぼくは帰り道でなぜ断られたかを考えたが理解できなかった。
きっと服装が貧乏臭いダサい格好だったから嫌われたのだと、ぼくは幼い頭で考えるのが精一杯だった。
 
それから何十年も月日が過ぎ人生も後半になった。
 
ぼくの前で、水切りかごに並べられた食器は、芸術のオブジェのようになっていた。
昔、出来なかったこと、それを今やっていると思うと愉快な気持ちだった。
人生に、遅すぎるということはないのだ。